医療ニュース 2009/2/3

小児虐待やドメスティック・バイオレンス(DV)の影に隠れてしまった感のある「高齢者虐待」。

【76歳女性。左上肢、胸腹部、左大腿部に熱傷。既往歴に高血圧、狭心症、糖尿病があったことから、入院させて補液。創部には、ブクラデシンナトリウム軟膏処置を行った。
まずは、愛知医大形成外科の松原真依子氏が、3年前に経験した事例を紹介しよう。】

ある日の17時30分ごろ、松原氏が担当していた救急外来に、ホームヘルパーに連れられて76歳の女性Aさんが受診した。腕から胸、腹、足にかけての広範囲の熱傷。
Aさんは「鍋を持っていた手が震えてお湯をかぶってしまった」と説明した。
受傷は、その日のお昼ごろ。しばらくは我慢していたが、痛みが強くなったのでかかりつけ医に電話で相談。医師の指示でホームヘルパーが自宅に駆けつけ、救急要請をしたのだという。
通常、熱傷の治療では、すぐには侵襲の程度が分からないため、受傷までの状況を念入りに問診して重症度を推定する。
この時も松原氏は、Aさんに「どうやって火傷したのか」「何度くらいのお湯だったか」「服はすぐ脱いだのか」「どのように傷を洗ったのか」など、受傷機転を根掘り葉掘り聞いた。
しかし、細かいことを聞き始めると、Aさんはなぜか口ごもる。ようやく話したかと思うと、松原氏と看護師が聞いた話の内容が食い違う。しかも、入院後しばらくすると「息子とは顔を合わせたくない」と言い出した。
「どうも様子がおかしい」。そう感じた松原氏は、入院翌日にケースワーカーに対応を依頼。ほどなく、同居している次男から熱湯をかけられたことが判明した。
また、日ごろから暴力を振るわれているらしいことも分かった。
Aさんを次男から遠ざける方法を検討したが、一般病床での面会制限は難しいことから、患者本人とも相談して精神科に転棟させることにした。その後、熱傷がほぼ上皮化した段階で、次男には連絡せずに近医に転院させた。
こうした一連の対応は、松原氏とケースワーカーに加え、病院の管理課、病棟の看護師長、ケアマネージャー、ホームヘルパー、区役所の介護保健係や生活保護係などと連携して当たった。
Aさんは、近医に約2カ月間入院した後、老人ホームに入所となり、虐待の再発は防ぐことができた。
「高齢者虐待防止法」から2年、しかし...
虐待は一般に、家庭内や施設などの閉鎖空間で隠れて行われるが、高齢者の場合、家などから外出する機会が少なく他者の目に触れることが少ないため、ほかの虐待にも増して他者に気づかれにくい傾向がある。
また、ほかの虐待もそうだが、Aさんのように本人が虐待の事実を隠そうとするケースが多いことも、発見を遅らせる原因になる。
そんな高齢者にとって、医療機関は、定期的に訪問する数少ない施設の一つ。その意味で、医師や医療従事者は、一般には気づかれにくい高齢者虐待を比較的発見しやすい立場にあるはずだ。
傷を詳しく観察すれば、虐待によるものかどうかを鑑別し得るし、なにげない身体診察や問診の中に、虐待の"影"を見付けることもあるだろう。
事実、2006年に施行された「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援などに関する法律」(高齢者虐待防止法)では、医療関係者を「高齢者虐待を発見しやすい立場にある」者として位置づけ、早期発見や虐待防止に努めることを求めている。
だが現実には、法律の施行から2年経った今も、医療従事者の関心はまだまだ高いとは言えない。高齢者虐待防止法では、虐待を発見したら市町村に届け出ることを義務づけている。
また、既にほぼ全ての市町村が、その届出や対応の窓口を「地域包括支援センター」などの中に設置しており、そうした窓口を介した報告は増加傾向にある。にもかかわらず、医師などの医療従事者からの通報や相談は、数えるほどしかないという。
医師などからの指示で、院内のケースワーカーやケアマネージャーが市町村に通報しているケースもあるだろうが、そうしたことを考慮しても、やはり高齢者虐待に関心が高くないか、高齢者虐待防止法の存在自体が周知されていないものと考えられる。
さらに、医療従事者個人だけでなく、医療機関としての体制整備が遅れている感も否めない。冒頭の症例を経験した松原氏も、「高齢者虐待に関して、病院として組織的に体制を整えているようなところはまだ少ないのではないか」という意見だ。
院内で高齢者の虐待を疑った場合に、どのような手順で被虐待者を保護し、誰が市町村に通報し、どうやって再発を予防するのか。そうしたマニュアルを作っている医療機関は数少ない。
日本高齢者虐待防止学会の理事長で、高齢者虐待防止法の制定にも尽力した高崎絹子氏は、「高齢者の虐待が起こった時に、周囲がどのように対応すればよいのかというノウハウは、まだ蓄積されていない」と問題点を指摘する。
学会では今後、これまで集積されてきた問題や事例を分析し、それぞれのタイプに応じた適切な対処法をまとめ、市町村や地域包括支援センター、医療機関、介護施設などと共有していきたい考えだという。
自身も看護師の資格を持つ高崎氏は、「現場にいる医療従事者には、これまで以上に、高齢者虐待の早期発見や個々の事例への適切な対応に協力してほしい」と話している。


(日経メディカルより抜粋)


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